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酒蔵だより

SAKAGURA

2024.7.25.

奥能登・鶴野酒造店さんとの共同醸造2024 取り組みの記録

「令和6年能登半島地震」で酒蔵と店舗の全壊被害を受けた鶴野酒造店さんの救出米を100%使用した共同醸造。石川県の酒蔵と地酒の存続のために力を一つに集結させた酒造りの記録を、両蔵の蔵人たちの思いを中心にお届けします。

共同醸造の経緯と概略

1月1日 能登半島地震発生 鶴野酒造店(鳳珠郡能登町鵜川19-64)の酒蔵、店舗、 住居が全壊
1月3日〜5日 蔵元・鶴野晋太郎さんらが酒蔵から酒米を救出し知人の倉庫へ搬入
2月上旬 福光屋専務取締役・福光太一郎が鶴野酒造店の蔵元・鶴野晋太郎さんを電話で見舞う。この際、救出した酒米があることを知る
2月中旬 福光屋社内で共同醸造決定。石川県酒造組合連合会へ届け出
3月5日 鶴野晋太郎さん、薫子さんが福光屋へ来社、顔合わせ。醸造蔵・壽蔵内にて、共同醸造の計画、仕込みについての最初の打ち合わせを行う。以降数回にわたり打ち合わせ
3月27日 鶴野酒造店が救出した酒米を福光屋に搬入。4/2搬入分とあわせ計2,196kgの酒米が運び込まれる
4月1日 共同醸造初洗米、4/4酛立て
5月14日 「谷泉 特別純米」上槽
5月15日 「共同醸造 鶴と福 純米大吟醸」上槽
5月28日 「谷泉 特別純米」瓶詰め
6月17日 「共同醸造 鶴と福 純米大吟醸」瓶詰め 2,700本
6月24日、7月1日 「谷泉×加賀鳶 純米吟醸」瓶詰め 5,200本

※製造部門における共同醸造は3/5〜7/1の118日間。

鶴野酒造店

石川県鳳珠郡能登町鵜川に1789〜1804年間に創業。代表銘柄「谷泉」、「登雷」を14代目蔵元で蔵人の鶴野晋太郎さんと石川県内唯一の女性杜氏・鶴野薫子(ゆきこ)さんの兄妹が醸す。震災により酒蔵、店舗、住居が全壊。酒蔵の再建を目指している。
https://www.taniizumi.com/

地震発生時、鶴野酒造店さんの動きと思い。

「令和6年能登半島地震」では、能登地方で古くからの酒造業を営む酒蔵も大きな被害を受けました。能登町鵜川地区に蔵を構える鶴野酒造店は、江戸年間(1789〜1804)創業。14代目・鶴野晋太郎さんと妹で杜氏の薫子(ゆきこ)さんが酒造りを守り、「登雷」や「谷泉」などの地酒を醸しています。1月1日の地震発生時は、夕方から酒母の手入れを行う予定でいたところを大きな揺れが襲い、酒蔵と併設店舗、住居すべてが全壊。避難所での生活を余儀なくされました。「まずは奇跡的に命が助かっただけよかったという状況。何も考えられない中で、今期の酒造りを断念すること、家業を継続することは物理的に不可能だと考えていました」と晋太郎さんはふり返ります。

能登半島の東側、内海に面した能登町鵜川に酒蔵を構え、能登杜氏の流れを汲む酒造りを江戸時代から続ける鶴野酒造店。能登の風土に根ざし、辛口でしっかりした味わいの地酒を醸すことで知られ、地元の漁師から愛されるお酒を醸造。全国に多くのファンをもつ酒蔵の一つ。

そのような状況ながら、今期の仕込みに使う予定で仕入れた酒米だけは何とか助けたいという一心で、晋太郎さんは地震発生翌日に崩れた酒蔵に入りブルーシートをかけ、翌日から地元有志の協力を得て瓦礫の中から酒米を救出します。重機が使えず、余震もある中で2000kg超の酒米(1袋30kg)を手作業で運び出し、知り合いの倉庫に移動させました。「雨雪に当たった袋もありましたし、お酒を造るあてもありませんでしたが、まずは農家の方々が大切に育ててくれた酒米を絶対に無駄にはできない、せめてお米だけは…という思いでした」と、晋太郎さん。

地震発生時、福光屋の醸造蔵と蔵人たちはーー。

元日の地震発生時、福光屋の醸造蔵・壽蔵では通常通りの仕込みが行われ、酒母の世話やレギュラー酒の醪の管理が行われていた。タンクの倒壊や醸造設備の破損を心配して蔵の見回りに走り回っていた。

金沢市内に醸造蔵・壽蔵を構える福光屋は、31日から元日にかけて杜氏と頭が泊まり込んで酒母や醪の手入れを行っていました。地震発生時の揺れにより、配管やホースの破損、電気系統の故障、酒母タンクや貯蔵タンクの大きな傾きなどが発生しましたが、辛うじて蔵の機能は保たれました。設備やタンクの点検、修復などが行われる間、能登地方の酒蔵の深刻な状況が刻々と伝わります。「私たち造り手は皆が石川の地酒の守り手であり同志です。能登の酒蔵にプライベートでお邪魔したり、技術交流も積極的に行っていますし、懇意にさせてもらっている酒蔵が多いので、皆さんを思うと言葉も出なかった。詳細な情報が流れてくるSNSからもしばらく距離を置いていました。何もできないもどかしさを強く感じていましたが、唯一できることといえば、今、目の前の自分たちの酒造りを精一杯、真摯に行うこと。誠心誠意の酒造りを行い、石川の地酒をしっかり守らなければということを蔵人たちにも話しました」と、地震後の福光屋杜氏・板谷和彦。

共同醸造のはじまりー鶴野酒造店さんの救出米の存在を知って。

鶴野晋太郎さんの地元仲間や能登町商工会青年部メンバーに助けてもらって救出した酒米。地震発生直後には能登地方を寒波が襲い、雨雪による酒米の傷みが懸念された。(写真:鶴野晋太郎さん提供)

石川県の酒造組合連合会に加盟する酒蔵は能登から加賀地区まで全34蔵。そのうち11蔵は能登にあり、全壊、半壊、津波の浸水や機器の破損、タンク倒壊などの甚大な被害がすべての蔵で確認されました。
地震から約1ヶ月後、専務取締役・福光太一郎は、能登地方の酒蔵の仲間に見舞いの電話をかけるなかで、鶴野酒造店さんに救出した酒米があることを知ります。「石川県の酒蔵は非常に仲がいい。本来なら商売敵、ライバルという関係ですが、業界全体が縮小するなかで地酒を盛り上げようという思いで繋がる仲間。そんな鶴野さんが必死に救い出したお米があり、使うあてがないと。私たちも地震の影響もあり、最上質の大吟醸を仕込む重要な時期でもありましたが、急遽社内で共同醸造を模索し、福光屋全社をあげて取り組むことになりました」。

酒母(酛)造りを行う鶴野薫子杜氏(左)と壽蔵酛屋・三上敏夫。2人は県内の各蔵から派遣された蔵人や製造関係者が参加し、酒蔵技能を習得できる石川県清酒学校の同期。大学卒業後、急遽家業の酒造りを担うことになった薫子さんは、ここで酒造りの基礎を学んだだけでなく蔵人としてのネットワークを大きく広げた。

福光屋の醸造蔵・壽蔵にて共同醸造酒の仕込み。

共同醸造のための具体的な打ち合わせが始まったのは3月5日。鶴野酒造店の蔵元・鶴野晋太郎さん、妹で杜氏の鶴野薫子(ゆきこ)さんが壽蔵を訪れ、作業工程ごとの蔵の構造や動線を確認し、福光屋の杜氏・板谷和彦と具体的な酒質や味わいについて話し合い、以後数回にわたって打ち合わせが行われました。石川県酒蔵組合連合会が主宰する「石川県清酒学校」に参加していた際、福光屋で研修を受けていた縁もあり、杜氏・板谷を大先輩と慕う薫子杜氏からは「自分たちがこれまでにあまり造ってこなかった華やかなタイプのお酒、繊細で綺麗な大吟醸酒に挑戦してみたい」という希望も。板谷も「こんなときだからこそ鶴野さんが挑戦してみたいこと、後々鶴野杜氏の酒造りの弾みになることを。技術やデータを含め、惜しみなく共有した酒造りの機会にしたい。蔵人全員が同じ気持ち。自分たちにできることがあれば、全力で応じたいという思いでした」。

4月4日の酛立ては、鶴野晋太郎さんと薫子杜氏、福光屋の蔵人全員で行った。救出した酒米の状態が心配だったという晋太郎さん。吸水や蒸米の経過など細かなデータを共有しながら作業が進められた。

そのような経緯もあり、タンク2本分の仕込みのうち、1本は薫子杜氏にとっては初となる2種類の酵母を使って香り豊かで綺麗なタイプの純米大吟醸酒(「鶴と福」)を仕込むことになりました。もう1本のタンクは、鶴野酒造店の代表銘柄「谷泉」の特別純米(通称オレンジラベル)。両タンクとも鶴野酒造店さんが救出したお米を100%使用することとし、特別純米の「谷泉」はできるだけ本来の仕込み配合に忠実に。2種類の酵母を使用した純米大吟醸は、鶴野酒造店さんの代表銘柄「登雷(とらい)」などに好んで使用する酵母K1401と福光屋独自の吟醸酵母FG1を使用し、新しい味わいを造ることになりました。薫子杜氏は奥能登と行き来しながら、福光屋の酒蔵に2〜3日に一度、細かな手入れを見届けるタイミングで通い、福光屋の蔵人と共に酒造りに励みました。

「石川の地酒を守る」という思いを一つに結集させて。

今回の共同醸造酒の一つ、鶴野酒蔵店の代表銘柄「谷泉 特別純米」(通称オレンジラベル)。仕込み水が違うため100%の再現ができたわけではないが、鶴野酒造店さんの仕込み配合や味わいをできるだけ守り、720mlを1000本、1800mlを300本製造。「谷泉 特別純米」は鶴野酒造店さんの全国の特約店様でのみ販売。

「募金などを別にして、私たち蔵人が自分たちの持てる技術を活用して最大の協力ができるとしたら酒造りしかない。鶴野酒蔵店さんがこれまで江戸時代から続けてきた酒造りを1年たりとも途切れさせないこと。これに尽きると思っていました。県内各地の風土に根ざした個性、いろいろな味わいがあって“石川の地酒”が成立します。能登から加賀まで各蔵のお酒が揃ってこそ。ですから、鶴野さんの銘柄が毎年少しでもお客様に届くこと、お酒が出荷されて店頭や飲食店さんのカウンターなどで目に触れる機会があることの積み重ねがとても大切だと考えています」と、杜氏の板谷。
鶴野酒造店で最も多く販売し、印象的なラベルとともに石川の地酒として広く知られる「谷泉」シリーズの1種を、仕込み配合や味わいをできるだけ忠実に守った酒造りが行われ、瓶詰めや仕上げも福光屋で行いました。

仕上がったお酒は、今年だけの特別な味わい。

両蔵が愛用する酵母2種を一つのお酒に使用して醸した「共同醸造 鶴と福 純米大吟醸」(左)。銘の左右に両杜氏の名前を記し、共同醸造を表現。「谷泉」のシンボリックなラベルデザインを踏襲し、両蔵の代表銘柄を左右に配した特別ラベルの「谷泉✕加賀鳶 純米吟醸」。地酒らしい明快な旨味とキレがそなわった1本。

タンク2本分のお酒のうち、酵母2種を使用して仕込んだ純米大吟醸は、両蔵の頭文字を一字ずつとって「共同醸造 鶴と福 純米大吟醸」という銘に。もう一つは、搾り上がった「谷泉 特別純米」に福光屋の代表銘柄「加賀鳶」を1対1でブレンドした「谷泉×加賀鳶 純米吟醸」という銘で発売。救出した酒米を使ったという点では今年だけの特別なお酒となります。
仕上がったお酒を前に、「食中酒として私たちが大切にしたいポイントがそれぞれに生き、鶴野酒造店らしさも感じさせる味わいになりました。そして待っていてくださるお客様にお届けできることが何よりも嬉しい。自社の最新の技術を惜しみなく教え、たくさんの醸造アドバイスもいただいた。私にとってはありがたい修業の場になったことも事実です」と薫子杜氏。

左・鶴野薫子杜氏(右)は20代で鶴野酒蔵店の杜氏に就任。県内唯一の女性杜氏として、能登杜氏の流れを汲む実直な酒造りを兄の晋太郎さんと行っている。右・鶴野晋太郎さん(左)は蔵元兼蔵人として酒造りの傍ら、イベントなどで奥能登の地酒を広げる活動も。福光太一郎とは北陸最大の日本酒イベント「サケマルシェ」の実行委員会のメンバー同士。

「どの酒蔵も昨年の夏頃から綿密な醸造計画を立て、12月から3月にかけては醸造の最盛期。この時期にタンク1本分の仕込みが増えるだけでも大変、しかも2本分となるととても大きな負担をおかけしたことが私も造り手の一人としてよくわかります。快くすべてに応じてくださった気持ちがとても嬉しかった」と、鶴野晋太郎さん。若手蔵元として石川県の酒造りを牽引する同志である福光太一郎とともに、「谷泉」と「加賀鳶」のブレンドにも挑戦しました。
「両銘柄とも石川の地酒としてすでに多くの方に認知もいただき、ご愛飲いただいていますが、それをブレンドしたことでまた新しいお酒になっていく。共同醸造だからこそできる試みの一つとして、石川の地酒の挑戦として、多くの方に広がってくれたら嬉しい」と福光。「谷泉」の左右対称のラベルをヒントに、谷泉と加賀鳶の銘を左右に大きく入れた限定ラベルで発売しました。

地震発生から半年。約120日の共同醸造を終えて一歩前へ。

搾り上がった共同醸造酒を手に福光屋の醸造蔵・壽蔵の前で。後列は壽蔵の三役である頭・古原正健、代司・外川伸介、醪担当の佐藤敦、酛屋・三上敏夫。鶴野晋太郎さん(前列左から2人目)と佐藤(後列左から2人目)も石川県清酒学校の同期。撮影中も賑やかな会話が止まらず、終始自然な笑顔の蔵人たち。

福光屋での共同醸造を終えた鶴野晋太郎さんと薫子杜氏は、「地震という大きな災害が元にはなったが、逆にこれほどのことがなければ、ここまで深く他蔵の技術に触れ、学ぶことは恐らくなかった。お客様の温かな応援をはじめ、同業の方々の協力で酒造りを継続できる機会があったことで、自分たちも“酒蔵再建”という思いを持てるようになった」といいます。福光屋だけでなく、県内外の醸造関係者の協力や他蔵が主導するクラウドファンディングなどでのバックアップも2人の背中を押し、再建への思いが高まります。
一方で、復興には行政と足並みを揃える必要もあり、酒蔵の再建までは少なく見積もっても6〜7年。それまでの間、全国で鶴野酒造店さんの「谷泉」や「登雷」を待つお客様のために少しでもお酒を届け続ける課題も残ります。試みの一つとして、鶴野酒蔵店さんの歴史ある建物が取り壊されても、かつての酒蔵で長年生きた酒造りに欠かせない微生物を存続させようという取り組みがあります。石川県立大学や石川県工業試験場の協力や壽蔵の酵母の培養を担う蔵人のノウハウを活かしながら、鶴野酒造店さんの酒蔵の櫂棒や桶などの木製道具から乳酸菌などの菌を採取。酒造りに適した微生物の分離を進めています。サポートの一貫として、鶴野酒造店さんの酒蔵が再建した際に、これらの微生物が新しい蔵での酒造りの拠り所になるかもしれないという期待を込めています。

共同醸造を経て、福光屋杜氏・板谷はこのように考えています。「鶴野酒造店さんの救出米でお酒を仕上げるという具体的なミッションに最善を尽くしてきました。ですが、この共同醸造をもっと広い視野でとらえると、谷泉ファン、加賀鳶ファンを含む、日本酒を心から楽しんでくださるすべてのお客様のための醸造でありたいということです。銘柄や醸造仲間を守ることはもちろん、もっと大きな意義がある。一人の造り手として、日本酒ファンのために出来る事、これからの日本酒のためにこの共同醸造が役になるという気持ちです。そして1回限りの取り組みではなく、繋げていくことでより強いものになっていくと考えています」。

鶴野酒蔵店さんの酒蔵が再建へと進むために。能登と金沢、石川の地酒の枠や地域を超えて日本のお酒の活気に繋がるように。長期的な取り組みが今後も続きます。