古原が壽蔵の頭に就任したのは2012年、福光屋に入社して20年目のこと。現在の杜氏・板谷和彦が杜氏に就任すると同時に頭の職に就き、今年で9年目。杜氏とは出身大学の先輩後輩関係にあたります。板谷杜氏によると、頭とは杜氏の右腕であり、酒蔵を運営していく上で実務的な調整を担う立場にあり、蔵内での多岐にわたる役割を担っているといいます。
酒蔵だより
SAKAGURA
杜氏を支え、蔵全体の実務を担う縁の下の力持ち。酒造りの職人「頭」の仕事。
創業以来395年の技を受け継ぐ福光屋の醸造蔵・壽蔵には、現在、杜氏を含めて15名の蔵人がいます(2020酒造年度)。年間1万2千石、一升瓶に換算すると1,200,000本分、北陸きっての生産高をもつ酒蔵の醸造をこの少数の蔵人たちが担っています。伝統的な酒蔵がそうであるように、壽蔵にも酒造りの全責任を負う杜氏を頂点に、頭(かしら)、代司(だいし)、酛屋(もとや)という名で呼ばれる三役が存在します。三役それぞれが、どのような仕事をどんな思いで担っているのか、酒蔵の職人仕事をその人柄を含めてご紹介します。今回は、蔵の実質的なNo.2であり、「頭」の古原正健(ふるはらしょうけん)に話を聞きました。
福光屋における「頭」の仕事とは、どのようなものですか?
杜氏の右腕として酒造りが最もよい形で進められるように、あらゆる調整、段取りを行うことが頭の仕事です。私自身の感覚でいえば右腕というより、もっとずっと控えた存在です。頭が皆より目立ったらダメだと思っています。杜氏が安心してどんと大きく構えていてもらえるように、蔵内のあらゆることを整えるのが私の仕事です。酒蔵を家族に例えることがありますが、頭はその中の女房役とか母親役という意味合いが強いんですね。家長である杜氏が仕事に専念できるように、杜氏が決定したことや指示、意向が蔵全体によく通るように調整して、全員が生き生きと仕事ができるように、酒蔵全体が結束できるよう、あらゆることに気を配って酒蔵の中を安定させるということです。具体的には人員とスケジュール調整、設備の維持管理、資材の準備・調達、蔵人の教育・育成、衛生管理、お金(予算)の管理を皆の協力を得ながら行っています。蔵人の体調面、若手の生活態度も気にかけています。また福光屋は製造業に分類される企業ですから、企業としてISOの品質マネジメントの担当者でもあり、そのための目標の策定や実施、報告も行っています。仕事を一つずつ挙げれば、非常に事務的でデスクワークのように感じるかもしれません。ですが私自身も醪を担当する酒造りの職人であり、28年間壽蔵の仕事をしてきたことで理解できる蔵全体の動き、杜氏がいかに重大な責任を負い、大変なプレッシャーの中で酒造りを行っているか、機器の故障が酒造りにどのように影響するのかを勉強させてもらっています。実務が非常に大切だという認識と責任、これまでの感謝の念をもって、少しでも貢献したいという気持ちで取り組んでいます。
頭を担う上で、気持ちの変化はありましたか?
頭に就任する前の4年間は頭補佐の仕事に従事していましたので、仕事の流れについてはおおよそ理解していたつもりです。ですが、杜氏の覚悟と信念をこれほどまでに直に感じるのは、自分自身が頭になってからです。杜氏、頭として就任が決まった当初は、杜氏が夜遅くまでこれからの酒造りや蔵の方向を深く話して聞かせてくれました。頭としての重責を感じる中で、杜氏の酒造りに対する考えを深く理解する時間で、自分の中で覚悟といいますか、やるぞっという気持ちが持てたことを覚えています。板谷杜氏とは2年違いの入社で年齢は近いのですが、職人としてとても尊敬していますし、一番大切な部分をあらためて教わった気がしています。
頭として一番嬉しかったことは?
嬉しかったことは二つあります。一つは、板谷杜氏が就任し、私が頭に就任したその年の金沢局酒類鑑評会で優等賞を受賞したことです。杜氏を中心に皆で取り組んだ成果が形になって嬉しかったです。もう一つは、若手蔵人から国家資格の酒造技能士が誕生したことです。頭の仕事の中でも重要なものの一つが、若手の育成です。若手が記録する日報や勉強ノートの中身を確認したり、研修会や勉強会を開いて学びの場を提供するのも私の仕事です。こんな試験があるけどどうや? こんな勉強したらどうや? と、提案することもあります。レベルアップが蔵全体のボトムアップになり、壽蔵の未来をつくることになりますから。最近では、若手蔵人が積極的に知識や技能を高める努力をしていることが嬉しく、大吟醸の麹造りなどは自ら志願して泊まり込む若手がいるのも嬉しいことです。
一方、頭として苦しいことは?
一つは設備の故障です。簡単に聞こえるかもしれませんが、これは酒蔵にとっては致命的です。万全を期していても、古い設備はどうしても壊れやすい。さぁ始めるぞ、というときに設備や器具の不具合で動けない、ということになればすべての段取りが大きく狂います。微生物主義の酒造りですから、機械の不具合だといって微生物の働きを止められませんし、一箇所が止まってしまえばあちこちが止まるという状態になります。予測不可能なアクシデントでも設備の維持管理は私の仕事ですから大きな責任を感じ、夜中でも修繕に立ち会います。そうならないために、夏場の酒蔵の修繕やメンテナンスも大切な仕事になってきます。
もう一つは、蔵人の体調不良です。インフルエンザなどが蔓延しないように細心の注意を徹底しますが、それでも防げないときもあります。蔵人が高熱で辛そうに電話をかけてくると、心配で私まで辛くなります。欠員の補充のために、人員配置を考え直さなければなりませんし、酒造最盛期には蔵人1人の体調が蔵全体に影響することもあります。
頭であり、醪の責任者でもある。醪の担当者とはどのような仕事ですか?
私自身は、醸造工程における醪(もろみ)の担当、醗酵室の責任者でもあります。酒造期には1日の大半を醗酵室で過ごしています。醪が酒質通りの醗酵をしているか、温度や経過管理を細かく行っています。洗米、浸漬、蒸米、製麹、酛と、各担当者が細心の注意を払って、一生懸命仕事をしてきたものの最終局面が醪工程ですから、そのバトンをしっかり繋いで品質の維持・向上に努めていかなくてはなりません。福光屋は、麹菌や酵母といった微生物を最優先にした酒造りを行っていますので、醗酵を見守り、微生物が伸び伸びと活躍できる環境を整える醪工程は非常に重要です。頭の仕事に加え、醸造の重要工程の責任者の業務を兼務することは大変ではありますが、この部分を任せてもらえるというのは職人としても嬉しいことです。
新人の頃から今現在まで、酒造りの職人としてのスキルアップはどのように考えていますか?
頭を努めながら、醪の責任者としての仕事の両立は簡単ではありません。でもどちらかに専念できればそれでよいかという話しでもありません。蔵の世話役は大切な仕事ですが、頭である以前に一職人ですから、酒造技能のさらなる向上は一生をかけての命題です。
現在は醪の責任者ですが、新人の頃から11年間麹づくりを経験しています。最後の4年間は責任者をさせてもらいました。入社3年目の頃に、当時の上司に麹の補佐をやらせて欲しいと言ったんです。今から25年くらい前の酒蔵は、エネルギーの塊のような先輩方ばかりで、まだ季節労働の蔵人がいる時代でした。厳しい切磋琢磨の中で、壽蔵で蔵人として生き残って仕事を続けていくには、必要とされる職人になるにはと、とにかく必死でした。当時は秋から春までの酒造りの期間中は、ほとんど蔵で寝泊まりをして、休みの日に家に帰るという生活でした。昼夜にわたる麹の世話をしながら、代司からやさしく、厳しく多くのことを教えてもらいました。辛いというより技術を習得したい一心。絶対に製麹を自分のものにしたいという気持ちでした。身についたと思えるのは経験と忍耐力でしょうか。酒造りの楽しさはもちろん、怖さも学びました。蔵人全員がそれぞれの仕事で同じ思いだと思いますが、自分が手を抜けば、酒がダメになるという気持ちですね。そんな経験が今も職人としての土台です。寒仕込みの際の大吟醸の仕込み期には、今も麹づくりを任せてもらっていますが、初心を忘れず感謝の気持ちをもって精進したいと思っています。
蔵の運営に関わる身としては、酒造りという製造業を支えていく点で、今後さらに大切な要素になってくる環境保全に関する知識も必要だと考え、国家資格である公害防止管理者水質関係第1種、大気関係第1種をそれぞれ取得しています。大気の方は頭になってから取得しています。福光屋はお米と水だけでお酒を造る純米蔵であり、自然に直結する企業ですから環境意識は十分に高いのですが、お酒を造る側の人間が、これからますます厳しくなっていく環境基準の制度や対策を知っているということは、大切なことかと個人的には考えています。
杜氏、他の三役たちとの関係はどうですか?
杜氏とは、杜氏と頭の関係になってから毎年必ず大晦日から元日を酒蔵で共に過ごしています。大晦日の最後の見回りの後、除夜の鐘を聞きながら一年間お世話になりましたと挨拶をして、元旦の明け方には今年もよろしくお願いいたしますというのを8年(笑)。頭になってからの私の1年は、毎年そうやって始まっています。蔵の中で年越し蕎麦を食べながら、これからの酒造り、蔵としての未来、展望をゆっくり話してもらえるのがしみじみありがたいと思っています。
代司の外川、酛屋の三上は20年以上の経験をもつ熟練蔵人です。若い頃から酒造りの日々を共に過ごしていますし、全幅の信頼をよせています。外川は麹の責任者、三上は酛(酵母)の責任者として、確かな分析や目をもっていますから、相談したり意見を聞くこともあります。若手、中堅、ベテランと年齢も幅広い15名ですが、社員蔵人だけの酒蔵でこれほどうまくいっているところはあまりないのではないかと思います。他所の酒蔵の方からも、秘訣はなんですか? と聞かれるんです。それは板谷杜氏の統率力と先見性、1980年代後半から蔵人の社員化をすすめてきた福光屋の長年の取り組みが、今こうやって実を結んでいるということだと思います。幸せなことだと思います。
「酒造りはチームの仕事。板谷杜氏が率いる“チーム壽蔵”として、レベルアップにつながるすべてのことに貢献するのが頭の仕事です」という古原頭。蔵全体のレベルが年々上がってきていること、一致団結を実感できるのが嬉しいと語ります。酒蔵の縁の下の力持ちが、円滑で効率的、そして円満な酒造りを助け、福光屋の味わいにも大きく反映されています。