酒づくりの言葉・酒蔵ごよみ――「印半纏」 | こめから.jp | お米のチカラで豊かに、上質に。

酒蔵だより

SAKAGURA

2019.1.4.

酒づくりの言葉・酒蔵ごよみ――「印半纏」

福光屋の酒蔵には、杜氏と蔵の三役だけが着用を許される五枚の印半纏があります。本藍染めで胴周りに大きく「醸造元」、衿字に「福光屋」を染め抜き、背には福光屋の標しである「小槌」を朱染めで配した伝統的な印半纏です。
「別名を“窮屈羽織”ともいうのです。襠(まち)がないことで窮屈に感じることの他に、蔵元の名を背負い、酒造りの幹部たる立ち居振る舞いをせざるを得ない。ハメを外せない心情を揶揄したものですが、実は印半纏に袖を通せることの照れ隠しとでもいうのでしょうか。福光屋の印半纏にはそれだけの意味があると思っています。印半纏は、お客様とっては信頼であり、若手蔵人にとっては憧れの象徴であり、羽織る側には誇りといっそうの自覚を促すものなのです」と、板谷和彦杜氏。印半纏は蔵人の正装として、蔵内外の行事に着用されますが、1924年(大正13年)に撮られた福光屋の写真には、印半纏にさらに前掛け、本手ぬぐいを頭に巻いた蔵人らが写されています。板谷杜氏は、蔵人の姿としてはこちらが本式といい、お酒を貯蔵する桶やタンクの呑み口(お酒を少量取り出す際の小口)が吹いたときに、とっさに身に着けているそれらの布で応急するための、理にかなった仕事着でもあったと解説します。
時代が下った今、蔵人の出で立ちは変化しながらも福光屋の印半纏は代々変わることなく受け継がれています。同時に、それを羽織るにふさわしい醸造の技、人間的な成熟も伝承されなくてはならないと考えています。1625年(寛永2年)の創業から明治、大正、昭和、平成と時代を重ね、新たな年を迎えた今この瞬間も有形無形の継承という道のりの真っ只中にいるのです。