HOME > 福光屋の歴史 > 広告史
広告史(昭和)

広告史(昭和)

福光屋は地方の酒蔵にしては珍しく、早くから宣伝広告に取り組んでいた。それは十二代目福光博の戦略であった。
とくに、当時の人気漫画であった横山隆一氏の「フクちゃん」をアドキャラクターとして採用したことの効果は絶大だった。
「フクちゃんフクマサもってきて」をキャッチコピーに、テレビコマーシャルをはじめとするさまざまな広告展開をはかった。これらは約20年間にわたって継続され、地元の広告史上にも残るシリーズとなった。

昭和26年

金沢の造り酒屋ではじめて小売店の店頭用のポスターをつくる。
いわく「酔い心持よき福正宗入荷しました」

地元の芸妓さんをモデルにした店頭ポスター。

地元の芸妓さんをモデルにした店頭ポスター。

昭和27年

JOMR局開局と同時にスポンサーとなり、ラジオ公開番組「ほろ酔いクイズ」を提供する

昭和35年

PR映画を制作する(ナレーション:若山弦蔵)

公開ラジオ番組「ほろ酔いクイズ」のようす。

公開ラジオ番組「ほろ酔いクイズ」の様子。

昭和36年

テレビ民放JOMR-TV開局と同時にスポンサーとなり、番組「ほろ酔い劇場」を提供。コマーシャルソングをつくる。これ以後、積極的にマスメディアを利用した広告展開をはかる

昭和37年

横山隆一氏の人気漫画「フクちゃん」をアドキャアクターとして採用する

昭和38年

フクちゃんのコマーシシャルソング♪フクちゃんフクマサもってきて♪をつくり、フクちゃんキャンペーンを開始する。
第一弾としてフクチャン指人形プレゼントを実施。以後フクちゃんは爆発的な人気を博し、酒販店の看板や各種販促用ツールなどに幅広く採用され、福正宗のシンボルとして永く愛されていく

百万石祭りの商工パレードに参列。フクちゃんが子供たちの人気を集めた。

百万石祭りの商工パレードに参列。フクちゃんが子どもたちの人気を集めた。

昭和39年

東京オリンピックにちなんで、フクちゃん金メダルキャペーンを実施。その後もフクちゃん貯金箱、フクちゃん定規などのキャラクターグッズをつくり、消費者キャンペーンをおこなった。
この年、横山隆一氏を中心に「フクちゃんクラブ」ができる。青島幸夫、サトウサンペイ、加藤芳郎など作家、漫画家がメンバーで、金沢で定期的に会合をひらくことになる

フクちゃんは昭和63年におこなったCIを機に、福光屋のアドキャラクターとしての役割を終えた。
時代の変化とともに、新しいイメージ戦略がもとめられるようになったからである

横山隆一氏

横山隆一氏(1986年撮影)
「フクちゃんクラブのメンバーたちと、金沢においしいものを食べに行くのが楽しみだった。お酒もたくさん飲めたしね」
横山隆一先生は、平成13年11月8日他界されました。先生のご冥福を心よりお祈りいたします。